膨らむ何か
モヤモヤと膨らむなにか。
車を運転したり、電車に乗ったり、歩いたり、シャワーを浴びたり、ご飯を作ったり。
こんな何気ない時間にそいつは突然現れる。
そいつらは自分の人生に対する漠然とした不安のようなものだったり、宇宙的な良く分からないパワーで奮い立たされるみたいなものだったり。
多分今でいうエモいみたいな気分に似ている気もしなくもないのだが。
どうしてこんなことを突然書き始めたかというと、自分が作りたいと思っているZINE(卒業制作として論文と一緒に提出しようかとも考えている)で取り扱いたいテーマの一つとして日常と非日常が関係しているのである。
日常生活の分類として私が体感で感じる2つの分類があって、
1つは、○○になりたいとか、こんなイベントやりたいとか、○○の資格をとるために頑張っているとか、バイトが忙しいとか、部活のみんなでご飯とか、彼氏とデートとか、
頑張ったらエモの分類に入ることもあるものだけどちゃんとした動作というか、これぞ正常というか割とみんなしているし事実チックなもの
もう一つは、前述した車を運転したり、電車に乗ったり、歩いたり、シャワーを浴びたり、ご飯を作ったりする中で生まれる人生論点的な何か。これがご縁なんだなとか思いながらはるばる島根まで電車で来る時の自分。これも運命だったんだなとか、あとはなるようになる的な、自然な神・宇宙的な何かに対して祈ったりポワンとする何か。空想的。
私の感覚だと、前者の事実チックな何かが正義であり、それをこなしていける人は出世したりいいキャリア築いてんなー感ある。
しかし人生それだけじゃなくて友達とワイワイしたエモい空間や時間、一人バスに乗って良く分からぬ孤独に襲われる、そんな時間もあるということを私は認めたくなっている。
そういう時間は無駄な気がしちゃうときもあったし、私なにしてんだろーな的な気分になることもあった。それってその日常的な部分を消してしまったからだ。
あのひとり部屋にいる感じが耐えられなくなる現象っていうかなんていうか。
だからなんとなく誰かと一緒に居たかったり、とりあえずなんかしていたかったり。
哲学者國分浩一郎が書いた本「暇と退屈の倫理学」がある。
そこには退屈と暇の分類分けをしていたりもした。
とりあえずなんかすることによって暇はしのげるかもしれない。しかし退屈からは逃れられない。
なんかそれの解決策として何かに熱中することが大事なのではてきな感じになったりした。答えは分からない。
解決策なんてわからない。
だから私はこのZINEでみんなに問を投げかけたいのです。
生活とは。
正月だ🎍
謹賀新年⛩
手作りおせち妹と2人で作りました。
記録です。
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妹段。伊達巻きも栗きんとんも紅白なますも田作りも黒豆の煮物も作っちゃう凄腕料理家の妹ww
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私はというとお雑煮作り。笑
もうお雑煮が大好きで今日だけで5杯たべました。鍋いっぱいに作ったお雑煮は妹、弟のおかわりにより完食。
人参の飾り切りとか、日本人ってちっちゃいところに色んな細工してて美しいなって。思う。
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それから筑前煮。
グツグツしすぎて煮崩れしました😫
しかし美味しすぎてこれ↑×2が一瞬にして無くなるという。笑
お正月って美しくって、美味しくってサイコーですわ。
新年⓶
おはよう新年第二弾。
今所用で母が家にいないため、家はお父さんを中心に生活しています。
父は起業しながら家事を。
妹はそれの手伝い、弟は頑張って生きてる(笑)
私はなにもしてあげられてないんだよね。。
だから今回の帰省は少しでもそれを軽減させてあげたいと思って働きに来ました。
家事やってみておもったけれどめちゃめちゃしんどいわ。
日常生きていくだけでもこんなに大変なんだって。
今はお正月だからお祭り気分。非日常だからいいかもしれないけれど。
毎日朝起きたら洗濯機を回す。
その間で4人分の朝ご飯を作る。前日にお米も炊いておく。
ちゃんとご飯のバランス考える。
1人で生きてるんじゃないって実感した。
自分の好きなもの食べて好きなタイミングで出かけたりご飯食べたり起きたり寝たり。。。今の生活ってものすごく自由にさせていただいているんだってわかった。
その自由って今は親や祖母・祖父に作ってもらったもので自分で作りだしたことじゃないんだなって思うともっと人生本気で生きようって思ったよ。
こうやって自分の頑張り(具体的に言えばお金とか)が次の世代に繋がっていくんだって。
時代が違うのもあるんだけど、おばあちゃんの考えを聞くと私って考えてることちっちゃいって思う。おばあちゃんは人を幸せにするために生きている。他の人の人生を全力で応援している。それが仕事になっている。
その優しさ。私に今はない。
自分のことで精いっぱいになっている今。
もっと近くにいる人たちにいっぱいあいを届けたい!
新年
おはよう新年。
2019年が始まった。
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朝起きると私の頭の中にはBEEGEESの「Stayin' alive」が流れていた。
これは私の入場曲だと思うほど気合いが入るし、気合入れたいときに聞くと
絶対スイッチはいる特別な曲(笑)
この曲は映画「サタデーナイトフィーバー」の主題歌。
今でもフリースタイルバトルとか、クラブで良く流れてる。
そんな曲が新年早々寝起きに頭の中に自動再生されたもんだからびっくりしちゃうぜ。
これが流れたことで、ノリノリで進んでいっていいんだなって思ってしまった。
実家に帰ってきた今でも私は毎日毎日踊り続けている。
へたくそでもいいと思う。私はダンスを楽しんでいる。
というか楽しくなると踊ってしまう。
毎日スマホから曲を流して踊るんだ。
はい。ここで疑問が。
ダンスってどうしてこんなに楽しいんだろう。
ダンス楽しいっているのって古代からずっと続いているではないか。
一時期はめちゃめちゃ音楽とダンスの時代と言っていいほどディスコ・クラブが流行るよね。紅白見てたって、やっぱどのアーティストにもダンサーついているではないか。
人間にとって音楽・ダンスって切り離せないものなのかなあ。
年末も新年もみんなでおいしいご飯を囲んで、紅白見ながら歌ったり踊ったりワイワイした。私はこんな時間が大好き。
こういう時間を目いっぱい楽しめるように日常だって私の好きなものにしていくんだーーーい。
2019/1/1 20:32
私にとってのダンスとは
年末ですので、今年思っていることの整理をしていきたいなあなんて思っています。
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私にとって大事なだいじなもの。それはダンスです。
ダンスは部活とか思った事はなく、気が付くと”一生かけて踊っていたい”と思うくらいに好きになっていました。
ダンスから学んだことって沢山あるなあって振り返っていて思いました。
その中でも特に印象的なことは
「自分の個性を消さないこと。自分のダンスをすること」
バトルに出ると、即興で流れてきた音を感じて踊るってことを自然にできないといけない。技術面でシルエットがとか、技がどれだけ繰り出せるかってことももちろんあるけれど、ジャッジの人がみんな言ってるのは「ダンスをしているか」「そこに自分の文脈があるか」ってこと。
ダンスをしているっていうのは、自分のパッションとグルーブを持って踊れてるかってことで解釈している。ただ勝ちたい、見せつけるみたいなのじゃなくてどれだけ音と一体になれるのかとかその音に一番近い表現(ダンス)ってなんだみたいなことを追求できてるかってすごく大事にされている。
誰かの踊りをコピーするだけじゃつまらないし、完璧を求めて自分の欠点もすべて埋めて平らにしてしまったら、、、、綺麗で上手いといわれるダンスかもしれないけれど味のある、その人のダンスってできなくなっちゃうよねっていう、、。
これって普通に生きていくことにも同じことが言えるなって思う。
私生きていくって表現していくことだと思うから。
この表現って別に何か作品を作るとかいうことじゃなくて、話したり書いたり自分から発信していくことすべてがそうじゃん!って最近思っている。
だからダンスで学んだことって全部に繋がってるー!わー!
あああ!書き忘れてしまった!歴史のこと!!!!
ちょっと妹のお迎え行かなきゃだからかけないけど、あの時代のバイブスかっけえ。
さいきんあったことまとめ
私はキレてる。正直結構キレている。
これはちょっと偉い人会議に出たせいかもしれないし、自分の情けなさでもある。
私は最近寝坊しているせいで授業をさぼりがちになっていることが多い。
単位やばいんじゃねって思うことも多い。
やばい理由は何といっても人と同じ時間を過ごし過ぎていること。
もちろん、一緒に頑張れる・騒げる友達も先輩も大好きなのに、、、。
つらいことだけど、その現状がつらい。
疲れている。もっと自分と向き合いたいフェーズにまたもや入っている。
今日から自分の時間を見直そうかな。