日記

思ったままに生きています

【何もない昼下がりに】

いつか過ごしたことがあるような、何にもない休日だ。

恐ろしいほどにみんな何かをすることもなく、

ただただ生きている。

 

 

なんのために生きているのかなんて考える必要もなく、

なにかをこの家、地域、国、世界、地球に残して死ぬ必要すらないのだ。

 

 

天気がいい。

 

なんで天気がいいんだ。誰の為なんだ。

なんのために生きるのか、だれがこの地球に生命なんて作ったんだ。

 

 

本当にわからない。いや、あるからもういいんだけど、、、

 

 

 

デカルトが言ってた「我思う、ゆえに我あり」ってこういうことなのかな。

あー。初めて分かった気がする。

きっとわかってなくても今までで一番納得してるな、この言葉の意味。

 

 

 

久々に過ごす家族との時間。

いつもの休日ってなんだったっけ。もう覚えてもいなかった。

過ごし方なんてめったに考えなかった。

 

何もないってこういうことか。焦った。

みんなは自然とリビングから去り、個々の部屋に向かう。

一人で携帯の画面をじっと見つめるんだ。

 

なにも生まれない一日。恐ろしいほどに堕落はすぐそばにあって、私は何も見たくない。誰かが一人でいて寂しければいつでもとりあえずそばにいて。これは自分が孤独であることの表れで孤独が凄く怖くなる。

 

 

自分の居場所は自分が作るものかもしれないけど、

それは違うかもしれない。

いつも気づかないけれど周りの誰かが作ってくれるものなんだ。

 

いつもありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【地元最高】

現在地元に帰っております!

 

 

 

たのしいなあ!

高校の先生と話していて改めて自分を確認することができたな、なんて思ったり。

 

 

あー。私ひとの3倍やるとか言ってたなあ。

すっかり忘れていた。

 

やっぱり自分が頑張ってると人もついてきちゃうというか、

あと0.5歩進んだら追いつけそうみたいな感じに見えるから

みんな敵対視してくるのかな。。。

 

 

やだやだー!自分は今の感じで楽しくやりたい!

って思うけれどそんな風にはできなくて、

このままでいいのかな。だがしかし変えちゃいけないのは私の本気の気持ちだ。

 

一生懸命さがとりえなら、そこをやっぱり出していくべきというか、、、

一生懸命にやったら必然的にそうなるって感じだけど、

やっぱり本気でやることをやめたら何にもできなくなるな。

環境に、状況に甘んじてしまっているなと実感する。。。

 

 

そう。私に足りないのは一生懸命に何かやることだなあ。

やる気?キラキラな気持ち?

 

わかんないな。。。

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず楽しむこと。なんでも貪欲に楽しむことだなあ。。

 

 

 

とりあえず人に会うでも本を読むでも沢山アクションを起こそう。

 

何とか前に進みます。

 

 

 

【私のわくわく】

ここで特に私がわくわくすることを書くつもりはありません(笑)

 

 

現在の問題意識として、

みんながワクワクしたいと思うものを持っていたら素敵じゃないかな?、それを考えて自分を見つめながら、自分の人生を歩んでくのって素敵!!って思うのに、

なんでみんながそうじゃないんだ?

 

っていうこと。

長い(笑)

 

 

 

いや、みんなその時で好きなことはあると思う。

分かってるけど、そのほうが素敵かなって。。。

 

 

あ、これ自分の価値観押し付けることになるのかな。

 

 

みんなにできればいいと思ってた。

けど、みんながみんなそんな風にできるわけない!って今日言われた。

 

 

だからいいの!って。

できる人がいるからできない人がいるわけで、

自分の身をおく環境で違ってくるよ!って。

確かに島根のこの大学はなかなかにしんどい。

 

こんなに楽しいんだって気づいてくれるのは私にとってはすごく楽しいこと。

そして自分の好きなことをやってる人ってどうしてもかっこよく見えるの。

 

 

なんかグダグダしてても答えが出なそうだから、

結論、

 

 

私は私のやりたいことを楽しむ!

 

 

 

これでいいの。

いまって何者かにならなきゃいけないって思いがとても強いのかなって思う。

でも今日いろんな人と話して分かったのは、

自分の魂がさけぶものをやることで、落ち着けるって。

だから自分に問いかけたり、やりたいことを見つけてく。

 

 

こういうのがあったらいいよね!ってどんどん見つける。

もちろん自分のこともそうだし。

探求しなかったらもうそれ以上いかないもんね。

 

だから成長欲ってあってもいいのかなって思うし、

常にそういう姿勢って大事だなって思った。

 

 

 

うん。まとまらないけど。ごめんなさい。

 

選択とは

今、とてつもない後悔に襲われている。

 

 

あー。あ。なぜあの時あの決断をしたのか。

 

忙しさにのまれて後から振り返ればなんでこうしちゃったんだ、

と思うものが沢山出てくる。

 

 

過去に帰ろうとも思わないくらい今を楽しめばいいとか、

後から振り返って、過去に帰りたいと思うくらいの楽しい時を過ごしてたいとか

いろんな考えを聞くとか、今はほんとにそんなこと考えてること自体なんなんだ、

いやあ、そんなこと考える余裕ないなって思ってしまう。

 

 

今を生きることに精一杯すぎるのだ。

と思い込んでいる。

 

そう、思い込んでいるのだ。

 

自分は今、やりたいと思ったことをなんでも手を出している。

手を出していて手に負えない。(笑)

 

いや、忙しいとかそういうことじゃなくて、

自分の頭の切り替えが追い付かないのだ。

 

 

後悔、きっと過去のほうがよかったと、

自分の中で過去と今を比べている。

 

過去に比べて今自分は成長しているのだろか、と

ずっとずっと自分で自分を苦しめているのだ。

 

見方を変えればいいことはたくさんあるけど。

 

 

うーん、、、、

 

 

 

でも、選択したんだから進むしかないんですね。

 

 

あー。くそったれなブログを書いてしまったな。

 

 

【ありがとう】

気づきました。

 

 

 

感謝することを忘れている。

 

 

なんだか周りとの関係がよくないな~。

私に余裕がないからか。とまでは分かっていた。

 

 

だけど、感謝すること。

これは忘れていた。

 

 

確実に「ありがとう」をいう回数が減っている。

 

たぶんこれだ。

 

 

 

愛されている、必要とされている、

人からの承認欲求は必ずだれでも必要で、

みんな欲しがるものかもしれない。

 

 

それは自分が魅力的であることが必要なのかもしれない。

 

 

でも、ひとから好かれるために生きる人生って変じゃないのかな?

 

 

 

きっとなにか目標があってそれを達成するために人の支援が必要なんだよね。

 

 

 

 

ひとの力は自分が思っている以上に大きい。

自分の力で人生すべてここまでこれたとは絶対に思えない。

 

 

自分の成長のどこかに必ず誰かがいてくれた。

 

 

 

そんな人たちに恩返しをしたいし、

そんな人たちと一緒にいたい。

 

 

そうすると元気がでる。

自分本位の考え方かもしれない。

 

 

だけど、そうしたいからそうする!

 

 

 

 

一番支えてくれたはずの親が、今無くなってしまいそうな今、

私にできることはなんなのか。

 

 

 

落ち着いて、穏やかに、ゆっくりと、

私はわたしで。

 

 

 

私を見失ったらまずは人と自分に聞いて。

自分も支えてくれる人も見失わないように・・・

進むために寝る

なにをするにも進むことしかないということはずっと前から知っている。

 

悩みながらも進んでいく。

それでいいんだと思いながらずっとここまできた。

 

 

誰でもつらくなる。

 

 

そんな時、誰かに頼るのがいいの?

自己消化するのがいいの?

 

 

突然頼りたくない、頼れない状況になったらどうしたらいいのだろう。

 

 

 

そう。そんなときは寝るしかない。

 

 

大抵ねてしまえば嫌なことは忘れてしまう。

薄れてしまうといったほうが正しいけれど、

いくら考えても悪いほうにしか行かないときは寝るのが一番。

 

 

これは自分の中のやばい!ってなったときの解決策として残しておこう。

 

 

どうしても自分がつぶれちゃいけないとき。

そんなときは自分を立て直すためにも、無理に人に近づかないで、

落ち着くまで一人で泣いて、そして寝る。

 

 

 

 

きっとなんでも、停滞期に陥ったときは、動かなくてもいいから、

自分を見つめなおすこととなにか吸収することをしよう。

 

人は何か生産しないと病む。

どこかで聞いたことがあるから、

 

疲れた時にお店でプリンを爆買いするんじゃなくて、

気持ちを書き出すでも、日記を書くでもよし。

 

なにか作ろう。

形に残そう。

 

 

 

これはメモ程度に残しておこう!

 

 

 

【甘え】

久しぶりに不思議な休日を過ごした。

 

今までにもあった、あまり思い出したくない休日のような。

 

 

 

沢山のことを思い出した。

あの時の気持ちがそのまま思い出せた。

本当に胸が締め付けられるような感覚。

 

 

 

この土日、ある人は戦っていた。

私は祈った。その戦いにその人の力をすべて発揮できますように、と。

 

 

そして気づいた。

その人をいつまでも忘れたくないことを。

 

 

2016年、私はその人を含め、大切な人を沢山離してしまった年だった。

 

 

久しぶりに心のそこから誰かに相談したいと思った。

泣いた。

本気で泣いた。

 

 

久しぶりだった。

なんだかうれしかった。

 

 

矛盾しているけれど、嬉しかった。

近頃の私は見失っていた。

 

 

周りの人に感謝すること。

自分が今までどれだけの人に助けられてきたか。

 

どんなに忙しくても時間を割いて話を聞いてくれたのは誰か。

私が深夜まで予定があってもわざわざ待ってくれていたのは誰か。

家まで迎えに来てくれたのは誰か。

いくら機嫌が悪くてもそばにいてくれたのは誰か。

喧嘩でも悩みでも真剣に向き合ってくれたのは誰か。

 

 

 

 

私という存在に対して真剣に向き合ってくれたのは誰だったか。

 

 

毎日はいつの間にか過ぎてしまって、

誰かに感謝することを忘れがちになってしまう。

 

 

 

近頃の私は、

とにかく何かをこなすこと。

なんでもなんとなく力を抜いてそれでもできてしまったように感じている私がいて。

沢山のものを抱え、そこに関わる人への配慮ができなくなり、

なんとなく自分が冷たい人間であることに気づいていた。

 

気づいていたのに。

 

 

 

久しぶりに泣いて分かった。

 

 

 

 

人を頼ろうとした。

その人にはうまく伝えられなかった。

伝えようとしたけど面倒臭そうだった。悲しかった。

 

 

私はいつのまにか相談できる人を失ってきてしまった。

自分で切ったんだ。

それか何かが変わってしまった。

 

 

 

自分が変わることはとてもいいこと。

わたしが望んでいること。

 

いい方向に変わるならば。成長ならば。

 

無くしちゃいけないもの。

なんだろう。

 

 

 

今日、この日があったから、

あの人がいたから気づかされたことがある。

 

 

もう一度、自分、そして周りの人を振り返ってみよう。

 

 

 

 

 

大切にしたい。