日記

思ったままに生きています

私の歩き方

いつの間にか前回の更新から1か月が経っている。

時の流れが速いなんて言いたくないけどこの罪悪感はいかに日々何かを考えずに生きているかということの表れなのかもしれないと心を痛める次第である。

 

 

こんな私でも最近気を付けていることがいくつかある。と言おうと思ったが、2つしかなかった。それでも私にとってはとっても大事になることだ。

・正直に話すこと

・最後まで人の話を聞くこと、それを受け止めること

 

1つ目の「正直に話すこと」。これは7月中、ずっと大事にしてきたことかもしれない。別に話すじゃなくてもいいのだけれど、私は口がうまいというか、嘘をつくのがうまい。だから話すとかいた。(別にここは大事じゃない)

私にとって「正直」「本音」「誠意」「事実」のようなありのままといった、自分の欲求にストレートになることも大事であった。しかしなにより人に正直に今いっぱいいっぱいだというような、自分の状況、事実を伝えることが6月末から7月にかけて重要だった。

 

なぜかといったら私は完全にキャパを超えていた。ここに私の大学生活の問題が潜んでいるのだけれど、まだ私は一年生気分で何でもかんでも手を付けていた(多少の方向性は絞られているにしろ)。これは自分が今何を抱えているのか、何をすべきなのかを消化しないままに放っておいた結果から導かれてしまった事でこれは大学生活一番の後悔であると感じている。

 

まあそんなこんなあり、自分に向き合ってキャパを把握することは周りの人に対して迷惑をかけないことにつながる。だから何としてでも把握して伝えることだけはしてきた。これが「正直」の効用である。そのため申し訳ない気持ちもいっぱいだけどそれもちゃんと伝えた。(いつもは大げさすぎて使えないカラフルな絵文字もおかげさまで使えるようになった)

 

加えて、「正直に話すこと」の効果はもう一つある。私は非常に見栄っ張りであり、負けず嫌いである。もうこれは否定できない。でもこれを続けてしまうと、自分のついた嘘や理想によって自分はどんどん苦しめられていくし、何よりも他人に本当の自分をわかってもらえなくなっていしまう。これは信用に直結する問題だ。だから自分にも正直でいたいし、周りの人を大切にする意味でも私は正直に、等身大で生きたいと思うのだ。

 

2つ目の「最後まで人の話を聞くこと、それを受け止めること」これは、私のアホっぽさをもっとうまく活用するための大事な大事なことである。私は顔からアホですという空気が駄々洩れしている。これは誰が見てもそうなのに私は知ったかぶりをしてしまったりかしこぶってしまっていた。確かに知っている話のほうが多かったりもするけれどそこで線を引いてしまうと、もう新しいものを持ってきてももらえないし自分でやるだろうとほっとかれる。でも私の内心はこの人すごく好き、考え方ステキって思ってる時もちゃんとあって。そういう時に損をしているな、と思ってしまう。

でここからが問題なのだが、私の「なんか違う」って思った時の態度だ。そういう時正直に言ったほうがいいと思って、「でもさ」と話を割り込んだりしてしまうことや、「じゃあこうしたらいいんじゃない」と先を急ぎ過ぎること。みんなの考えてることって最後まで聞かないとわからないし、みんな忙しいからそんなこと言うならあなたがやってよとどんどん私に仕事が回ってきてしまう。自分も楽しくなければ周りも楽しくなくなる。ほんとに良くないよ、これ(笑)

 

最後になるけど、上の二つをまとめてみると、人の話を正直に最後まで聞く。これが私にとって大事な態度だった。やっぱ他人があって私があるし、私がやりたいだけとかそんなものはショボいものしかできない。だから自分の意見はちゃんと持っているけど、その人の話もちゃんと聞ける人間になりたい。等身大だけど、わがまま少女みたいな感じにはなりたくない。

 

その為にじぶんができるちっちゃいこととして、私をわたしとして認めてあげられるもの、等身大の私を理解してあげるために私は制作が大切だと思っている。

ちっちゃい時から物を作るのが好きだったように自分でノートでZINEを作ったりスクラッチブックを作るのは想像以上に自分が自分になれている。ちゃんと自分の足で歩く時間を取りつつも、人と一緒になにか作る時間を別々に取ることが今の私にとっては重要。

 

って今思って書いていたらこんなに長くなっちゃったよ・・・💦