リセット
いきなりですがiPhoneが今朝壊れ、
リンゴループと呼ばれる状態になってしまった。
広島に行く予定だったが夕方から行くことに。
初期化もできないほど逝ってしまったらしく、機種変更しました。
念願のiPhone X!
自分でもビックリするくらい突然やってきた。
だがしかし、バックアップ取る暇もなくiPhone 7くんは眠りについてしまったため、なんのデータも残っていない。。。
気づいたのだ。。。不審な私の行動に。
こちらを見て欲しい。
年末からここ一週間にかけて、私は写真の整理をしていた。怖い。私の身体は予期していたというのか………。
大事な写真だけは何とか見るとことができるという奇跡。
私の五感に感謝。
またリセットして整理整頓頑張ろう。
釣り
アジを釣った時のこと
膨らむ何か
モヤモヤと膨らむなにか。
車を運転したり、電車に乗ったり、歩いたり、シャワーを浴びたり、ご飯を作ったり。
こんな何気ない時間にそいつは突然現れる。
そいつらは自分の人生に対する漠然とした不安のようなものだったり、宇宙的な良く分からないパワーで奮い立たされるみたいなものだったり。
多分今でいうエモいみたいな気分に似ている気もしなくもないのだが。
どうしてこんなことを突然書き始めたかというと、自分が作りたいと思っているZINE(卒業制作として論文と一緒に提出しようかとも考えている)で取り扱いたいテーマの一つとして日常と非日常が関係しているのである。
日常生活の分類として私が体感で感じる2つの分類があって、
1つは、○○になりたいとか、こんなイベントやりたいとか、○○の資格をとるために頑張っているとか、バイトが忙しいとか、部活のみんなでご飯とか、彼氏とデートとか、
頑張ったらエモの分類に入ることもあるものだけどちゃんとした動作というか、これぞ正常というか割とみんなしているし事実チックなもの
もう一つは、前述した車を運転したり、電車に乗ったり、歩いたり、シャワーを浴びたり、ご飯を作ったりする中で生まれる人生論点的な何か。これがご縁なんだなとか思いながらはるばる島根まで電車で来る時の自分。これも運命だったんだなとか、あとはなるようになる的な、自然な神・宇宙的な何かに対して祈ったりポワンとする何か。空想的。
私の感覚だと、前者の事実チックな何かが正義であり、それをこなしていける人は出世したりいいキャリア築いてんなー感ある。
しかし人生それだけじゃなくて友達とワイワイしたエモい空間や時間、一人バスに乗って良く分からぬ孤独に襲われる、そんな時間もあるということを私は認めたくなっている。
そういう時間は無駄な気がしちゃうときもあったし、私なにしてんだろーな的な気分になることもあった。それってその日常的な部分を消してしまったからだ。
あのひとり部屋にいる感じが耐えられなくなる現象っていうかなんていうか。
だからなんとなく誰かと一緒に居たかったり、とりあえずなんかしていたかったり。
哲学者國分浩一郎が書いた本「暇と退屈の倫理学」がある。
そこには退屈と暇の分類分けをしていたりもした。
とりあえずなんかすることによって暇はしのげるかもしれない。しかし退屈からは逃れられない。
なんかそれの解決策として何かに熱中することが大事なのではてきな感じになったりした。答えは分からない。
解決策なんてわからない。
だから私はこのZINEでみんなに問を投げかけたいのです。
生活とは。